RESEARCH

近世の布の研究

「近世の布の研究」

吉田真一郎 白の気配

少し心に不安を与えるほどに暗い部屋。その奥に仄かに白く光る横長の長方形のものが見える。それは、縦に長い布を20枚につなげたものであるらしい。その一つ一つは微妙に色合いが異なり、黄味がかったものもあれば、黒味を帯びたものもある。それらは静かに、仄暗い空間の先に佇んでいる。それは、虚空に浮かぶ月を、そのまま長方形に引き伸ばしたかのようにも見える。

部屋の反対側にも同じ形状の布が14枚並べられているが、こちらの方は先のものよりも明るく見える。ここでも一つ一つの布の色合いは微妙に異なる。部屋の傍には、暗い空間へと続く道がある。洞窟の横穴のようなその空間の壁にも、同じようなかたちの布が6枚並べられている。まわりが暗いせいか、その6枚は白い布のように見える。さらにその先のより狭い空間では、縦長の映像モニターに「白」というものを問い直す言葉と静止画のスライドが表示されている。つい先ほどまで暗い空間にいたため、モニターの光が目を刺激する。と同時に、私たちがいままで当然と思っていた「白」の概念が覆されてゆく。

スライドの間から、一つ前の部屋に戻ると、モニターの光の名残りのせいか、今度はまわりの空間が先ほどより白く見え、6枚の布の方が黒く見える。そして、さらに広い部屋に戻ると、先と同じように、白い布が微動だにせず並んでいるが、先ほどとは印象が異なる心地がする。ここでは音は、建物を通り抜ける空気のノイズしか聴こえない。ただ暗い部屋に、白い布が並べられているだけである。しかし、どういうわけか立ち去り難い心地がする。白い布の反対側に並べられている椅子に座って、再び布に目を向け、それをぼんやりとながめる。

瞑想の空間とは、こういう場所のことかもしれない。真夜中に寺社の建築のなかにいるときの心地とはこのようなものだろうか。あるいは、寺院の地下などの「胎内めぐり」をしているときの感覚にも似ているだろうか。

白い布たちは、なお、無言のまま動くことなく、仄かな白さを見せて、並んでいる。もう少し明るければ、より布の細部を見ることができるかもしれない。そのもどかしさが、より興味をそそるようである。

あの布たちは、何かを語ろうとしているのではないだろうか。たとえば、多くの人がすでに忘れてしまったようなことを。そういったことをこれから語り出そうとしているものの、永久に語り出すことのないような状態。それが私たちを引きとめつづける。

だがそれは、決して強い力によってではない。おそらく、日常生活の感覚のままでは、そのかすかな主張を掴み損ねてしまうだろう。この暗い静謐な空間にしばらく留まり、少し心が落ち着いたとき、自分のなかに、あの布たちへのひそやかな興味が生じるのである。なぜだろうか。この「沈黙の雄弁さ」とでも言うべきものはなんだろうか。

ここに展示されている布は、いずれも美術家・吉田真一郎氏が蒐集したものであり、1800年代のものとおぼしき大麻布である。

吉田は40年以上にわたり日本の布の蒐集と研究を行なっている。これまでにサンフランシスコ民藝博物館といった海外の博物館や日本各地の博物館において、日本の麻布の展覧会を行ってきた。それゆえ吉田は、しばしば「日本の布の在野の研究家」として紹介される。

先にも述べたように、吉田は圧倒的な蒐集物をもって、しかもその糸を取り出し顕微鏡検査を行うことで、実物に即した説得力ある研究を行い、長らく続いていた大麻についての通念を打破した。吉田自身は「遊び」ではじめたと言うが、すでにその影響は大きい。しかし、こうした研究活動は、吉田にとっては、より大きな目標のための一過程に過ぎなかった。

20代の頃、絵を描きはじめた吉田は、あるときから自ずと白いキャンバスに白の絵の具を使った絵を描くようになったという。しかし、一度死の危機に陥った彼は、その目で欧米の現代美術を見てまわることを決心する。

1977年のことである。最初にたどり着いたドイツ・カッセルにおいて、吉田にとって決定的な出会いが起きる。そこでは折しも現代美術展「ドクメンタ6」が行われていた。ほどなくして吉田が出会ったのがヨーゼフ・ボイス(1921‒86)であった。まだ、日本でもそれほど知られていなかった頃である。ボイスに気に入られた吉田は、しばらく、彼とともにカッセルにいることになった。やがて、吉田がそのとき一つだけ持っていた自身の白い作品を見せると、ボイスはそれに興味を示した。だが、ボイスに「なぜ白なんだ?」と問われたとき、吉田は答えられなかった。ボイスは「それはお前のルーツとどうつながっているんだ?」と執拗に尋ねてきたのである。

そのことが大きなショックとなり、吉田は欧米周遊をやめ、直ちに帰国した。そうして、ボイスからの問いに答え、もう一度自身の作品を見せられるよう、ルーツ探しをはじめた。その過程ではじめたのが、日本の布の研究であった。吉田は、ある程度布のことが分かったら次のことを調べようと思っていたという。しかし、それには本人の予想よりも多く時間がかかってしまった。そうして、いつの間にか数十年が経ち、吉田は、布の研究家として知られるようになった。

およそ30年が経った頃、ある博物館で大麻布の展示を準備しているとき、江戸時代の白い布がたくさん並んでいる状況をふと目にした吉田はそこに異様な「気配」を感じたという。そして、そこに、吉田がずっと追求し続けていた自身の理想の作品があったことに気づいたのである。描くのではなく、ただ、白い布を並べるだけで良かったのだと。(吉田はそれまで、ほぼ毎日、クロッキーデッサンを続け、自身の納得できる作品を追求していた。)

初期の絵画作品(1970 頃)
帰国時ボイスから手渡された手紙(1977)

それが作品として最初に発表されたのが、2017年の《白》(於:山口情報芸術センター[YCAM])である。実にボイスとの出会いから40年である。それをさらにアップデートされたのが今回の《白》であり、また、その対となる作品として新たに《黒》が制作された。

さまざまな時と場所でつくられた大麻布を並べたとき、一つ一つが異なる「白」であると吉田は語る。それは、大麻の苧(お)の種類、細糸、太糸、縦糸の撚(よ)りの具合、織りの密度等に関係している。そして吉田は「肉眼には見えない世界の差異が、一つ一つの白の微妙な気配となって現れ出ている」*と言う。

白の気配。この静かな作品は私たちに無限の示唆を与えてくれる。そして、吉田はそこに、ボイスが提唱した社会彫刻さながら、未来に向けたメッセージを託している。

*吉田真一郎「大麻繊維の布について」
『布のデミウルゴス―人類にとって布とは何か』(山口情報芸術センター、2017年)


――おんなじ白がないっていうことは、じゃあこれが心だったとしたらどうかとハッと気づいた。一枚一枚の白の布。YCAMのときは五十八枚の布やったけど、それは五百枚でも千枚でも並べようと思ったら永遠に並べられる。五十八枚の白の布を、五十八の心に置き換えたら分かりいいと思うんやけど、みんな「同じ白い布」って思ってるわけよね。ってことは、五十八枚の白の布と同じと認識してるように、五十八の心を一つの同じ悩みとして捉えて相談に乗ってるとしたら、それは違うだろうと。

五十八の心があるんだよ、そこにね。明らかに違う五十八の悩みが。で、その五十八を一つの悩みとして解釈してコミュニケーションするほど馬鹿げたことはない。それならなにもはじまらないし、解決もしない。(中略)ニュースやら見てると、地球環境のことやら、持続可能なこれからのエネルギーやら、医療やらのことを、いま年寄りも若い連中も言って動き出してるよね。まあ、どこまで分かってるのか分からないけど。そういう若い連中がよく会いにくるんだけど、喋ってると、やっぱりその部分とすごく重なるような気がするのね。だんだん若い連中が気がついてきたなあ、と。俺たちも分かってたんだけれども、それなりの人はめんどくさいから目をつむってた。同じ白としてくくって仕事をして、金もらって生きていくっていう生活をしてた。でも、もうそういうことが許されない時代に突入してきてるんじゃないかって思う。そろそろ、いろんな白があるよ、と。それは、社会問題とか、人間の生命、人権にも関わる。そういうようなことを置き換えて考えたときに、俺の「白」の作品は「同じ白として目をつむってあなた生きてられるんですか?」っていうような俺のメッセージでもあるんだけど。

――インタビュー本『吉田真一郎|白の気配』より抜粋

原瑠璃彦

All photos by Kotaro Tanaka
本稿は『HOSOO Magazine More than Textile – Issue 2 Future in the Past』(2022)より転載されたものです。